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12世紀、天を突くような教会建築が誕生する。サン・ドニ修道院である。
外観が当時主流のズングリしたロマネスク建築と比べて大きく異なっていた。
そのため後年、侮蔑を込めて蛮族ゴート族に基因する「ゴシック」と呼ばれる。しかし「神は光なり」を具現化したゴシック建築はアッという間に中世の欧州を席巻してしまう。
欧州建築の様式を辿ると、まずギリシャ・ローマ時代の神殿に代表される「古典様式」と呼ばれる建築が登場する。構造材が大理石主体であるため現在も数多く残っている。代表例はアテネのパルテノン神殿である。次に「バシリカ」と呼ぶ集会所から発展した初期キリスト教建築が登場する。キリスト教の公認が急であったため教会の建設が間に合わずバシリカを改装して利用した。
ローマ帝国の東西分裂後、東ローマ帝国はコンスタンチノープル(※現在のイスタンブール)を拠点とするが、ここで矩形の建物にドームを乗せたビザンチン建築が隆盛を極める。イスタンブールのアヤ・ソフィア寺院とヴェネツィアのサン・マルコ寺院が代表例であろう。
そして11世紀に登場するのがロマネスク建築である。
⇒半円アーチを特徴とするロマネスク建築⇒カテトダル(大聖堂)という言葉に象徴されるゴシック建築へ連綿と繋がって行く。この「ゴシック」という単語は本来的にイタリア人が忌み嫌う蛮族ゴート族に由来しているため蔑視が込められていたが、現在では十二世紀中頃に北フランスで始まった尖塔を特徴とする建築様式を指す言葉となっている。
とにかく少しでも天に近づきたいという素朴な気持ちから高さを追求した。また「神は光なり」という聖書の言葉を具現化するため壁面に「バラ窓」に代表される大きなステンドグラスを嵌め込んだりしている。しかし石やレンガによる組積式建築物は、別名「耐力壁」という言葉が如実に示すように壁で重力を支えているため大きな窓を穿つのは物理的に不可能であった。だが求めよ、さらば開かれん!この難題を克服するため、①高さ追求という観点からロマネスクの半円アーチではなく尖塔アーチ、②先頭アーチを補強するためのリブ・ヴォールト、③ヴォールトが重力により横へ広がろうとする力、即ち推力に耐えるための飛梁(フライングバットレス)という三つの新技術を採用する。
周知のようにゴシック建築の第1号はパリ北東にあるサン・ドニ修道院付属大聖堂(写真)である。この大聖堂はフランス王家代々の由緒正しい墓所だ。だからといって自然発生的にゴシック建築第1号が完成していたというほど歴史は甘くはない。建築に際して「王様の歓心を買うためには如何にすべきか」と「どのようにしたら皆の度肝を抜くことが出来るか」の二点を徹底的に追求したシュジェール修道院長という野心家が居たからこそである。だが紙面の関係もあるので人物紹介を割愛して先へ急ごう。
1144年、国王ルイ7世と王妃エレオノール・ダキテーヌを主賓として迎え献堂式が華々しく開催された。これによりゴシック建築第1号の栄誉は決定的になったが、人間万事塞翁が馬、これが仇となってフランス大革命の際は乱入した民衆により大きなダメージを被ってしまう。
現在のサン・ドニ大聖堂は修復工事も完了、かつての美しい姿を取り戻している。場所はパリの北東4キロ、地下鉄13号線の終点一つ手前のバジリク・ド・サンドニ駅で下車、徒歩3分の距離だ。パリ中心部から30分もあれば到着してしまう。
見所はゴシック建築第1号という以外にも、フランス王家代々の墓所だけに太陽王ルイ14世や大革命で断頭台の露と消えた悲劇の王妃マリー・アントワネットなどの墓もある。またステンドグラスも色彩鮮やかで素晴らしい。筆者が時の経つのを忘れ魅入った事は言うまでもない。

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