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インテリア関係の新聞・雑誌に「タフテッドカーペット」という単語が頻繁に登場する。生産技法に起因する名前で現代のカーペットの主流である。製法はタフテッドマシンと呼ぶ機械で基布に刺繍をしながらパイル(毛足)を作っていく。この点が縦糸・緯糸の織りの原理でパイルを作る織カーペット、或いは編みの原理でパイルを作るニットカーペットとは異なっている。
カーペットは歴史が長い分、種類は多い。しかし数量的に見た場合、タフテッドカーペットの生産数量は群を抜いている。その意味では生産量で我国最大の床材と断定しても間違いない。このように書くと意外に感じる人が多いと思う。何故なら世はマンションブームで、マンションの床といえばフローリングが定番だからである。フローリングに勝てる訳がない、こう考えがちだが平成18年の実績を見るとフローリングが約6300万㎡に対してタフテッドは約7900万㎡で、1600万㎡の差をつけている。
このように床材の王者として君臨するタフテッドだが、冒頭で述べたようにルーツは「織」を原点とする手織絨毯ではなく、むしろ「刺」を基本とするベッドスプレッドなどの寝装品に近い。それを検証するため19世紀末のアメリカ南部にタイムスリップしよう。
当時のアメリカは技術革新の時代であった。画期的な発明が相次ぎ、例えば1876年にベルが電話機、翌年の77年にエジソンが蓄音機、79年にエジソンが白熱電球、85年にイーストマンが写真フィルム、88年に写真機、そしてエジソンが1893年に活動写真を発明している。このように電球は発明されていたが、肝心な電力網が未整備のため何処の家庭も灯油ランプを使用していた。当然、薄暗く殺伐とした室内である。しかし昼間の過酷な労働を癒すにはこの狭い我家で熟睡するのが最善の方法だ。また同じ寝るなら無味乾燥な毛布よりもパッチワークや刺繍で飾り立てたベッドスプレッドの方が楽しい。逞しい南部女性は夜なべ仕事でベッドスプレッド作りに励む。
1880年、アメリカ南部のジョージア州の寒村にキャサリン・エバンスという女の子が生まれる。彼女は12歳の時に先祖伝来の素晴らしいベッドスプレッドに接して魅せられてしまう。魅せられただけでなく自分で作りたいという衝動に駆られる。誰もが子供時代には夢を抱くが、殆どは見果てぬ夢で終わるのが世の常である。だが彼女の場合は違っていた。初志を貫徹しただけでなく、タフト技法という新技術まで開発してしまう。彼女が「タフト産業生みの親」として賞賛される所以である。
彼女が作ったベッドスプレッドを工程順に解説しよう。①木綿シーツに鉛筆で図柄を描く ⇒ ②太い綿糸を大きな針に通して図柄に沿って上から刺し込む ⇒
③裏側に出た糸を指で摘まむ ⇒ ④糸を摘まみながら再び針を裏面から突き刺す ⇒ ⑤そうすると裏面にループパイルが構成される ⇒
⑥これを反復すると裏面に図柄に沿ったループパイルの模様が出来あがる ⇒ ⑦このままならばループパイル、ループの先端をハサミで切ればカットパイルとなる。
要するにパイルのある裏面がベッドスプレッドでは表面になり、構造は現代のタフテッドと全く同じである。だがこれで完成ではない。何故なら、この状態ではパイル糸を引っ張ればツルリと抜けてしまうからだ。即ちパイルが抜けない処理を施さなければならない。例えば現代のタフテッドカーペットはパイル刺繍した第1基布に合成ゴム系のラテックス(接着剤)で第2基布を貼って止めている。しかし当時の天然ゴムはベタついて問題を大きくするだけである。この難問を少女はコロンブスの卵的発想で解決する。具体的には水に濡らして乾燥させると収縮する綿の性質を利用してパイル糸を留めた。余談になるが現代の綿(コットン)のウォッシャブル・カーテンは、クリーニングでの収縮を防ぐためホルムアルデヒドを1%程度含む架橋剤(かきょうざい)を使用している。架橋とは綿のセルロース繊維間を商品名グリオキザールという薬剤(架橋剤)で繋ぎ補強することである。こうすると縮まない。しかし微量ではあるが使用している薬剤からホルムアルデヒドが放散してカーテン自主基準のF4を取得できないのである。
閑話休題。最初のベッドスプレッドが完成したのは彼女が15才の時なので丸3年かかった計算になる。このベッドスプレッドが完成した1895年を米国カーペット業界ではタフテッド元年と呼んでいる。これを出発点として世界のタフテッド産業は歩みを開始するのである。なお米国ジョージア州ダルトンに本部を置く米国カーペット&ラグ協会の大会議室の正面壁面にはキャサリン・エバンスの肖像画が架けられ、その横のブロンズのプレートに彼女の名前と生年月日が記され、「タフトカーペットの発明の母」と書き込まれている。
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