日装連WEB話題情報

現存する世界最古のパジリク絨毯

 
 
 

手織絨毯の人気は根強い。特に最近はペルシャ絨毯とトルコ絨毯に代表される高級品が人気だという。色柄や品質が素晴らしいのは事実だが、背景にある悠久の歴史と遊牧民の伝統が手織絨毯の魅力を倍加しているに違いない。その原点が紀元前5世紀に造られた世界最古のパジリク絨毯である。
この数年、別名「刺繍カーペット」と呼ばれるタフテッドカーペットの国内生産量は8000万㎡前後を推移している。これにニードルパンチやウイルトン、アキスミンターなどを加えるとカーペット総計では約1億㎡と推定される。これを卸売ベースで金額換算すると約1200~1300億円で、壁装材市場よりも若干大きい程度である。但し壁紙の場合は国産品がほぼ100%を占め、輸入品は皆無に近い状態と断定しても過言ではない。それに対してカーペットはペルシャ絨毯や天津(てんしん)緞通などの高級品、或いはホームセンターなどで見かける中国製の安価品を含めると輸入品だけで1100~1200億円に達する。
このように裾野の広いカーペットだが、ルーツを訪ねると一枚の手織絨毯に辿り着く。それがロシアのエルミタージュ美術館が保有するパジリク絨毯(写真)である。



1947年、ソ連の考古学者ルデンコを隊長とする発掘チームはアルタイ山脈の標高1500メートル地点にあるパジリク渓谷で遊牧民スキタイの古墳を発見する。発掘したところ多数の貴重な遺物が見つかり、中でも縦200センチ×巾183センチのウール絨毯は色々な意味で注目の的であった。この一帯は永久凍土である。古墳内部の玄室(げんしつ)も天然の冷凍庫状態であったため絨毯も朽ち果てず奇跡的に原形を留めたようだ。鑑定した結果、紀元前5世紀頃に作られた事が判明し、現存する世界最古の敷物という事が確認される。前5世紀というと日本は縄文から弥生時代への移行期である。この時代にデザインも素晴らしく、染織技術高度な絨毯が作られていたとは驚きである。
パジリク絨毯の織り技法はトルコ結びで、パイルの結び目は約125万個という驚くべき密度である。さらに天然染料で染められた繊維は2000年以上の歳月を経ているにも拘らず殆ど退色していなかった。

デザイン(写真)は中心に古代アッシリア王国の四葉飾りの花模様が格子状に24個並んでいる。それを囲むように5列のボーダー文様を配し、一番内側のボーダーには空想上の動物グリフォン(有翼怪獣)が42頭並んでいる。次の2列目は立派な角を持ったトナカイ24匹の行列。3列目は小型の四葉飾りが62個並び、4列目はペルシャの古代王朝アケメネス帝国の騎士とおぼしき28人の騎馬行進が描かれている。注目は全員が馬の鞍替りに絨毯を使用している事である。おそらくパジリク絨毯も馬の背中に敷くために織られたものだろう。そして一番外側の5列目には雄鹿81頭が整然と配列されている。とにかく意匠的にも素晴らしく生活道具には違いないが芸術の域に達している。

さて生産地の推定だが、パジリク絨毯をスキタイ人が製作したと考えるには無理がある。同じ古墳から車輪が大きい「高輪の車」が出土して、古代の歴史家ヘロドトスによる「家を運んでは移動してゆく騎馬の弓使いで・・・・住む家は獣に曳かせる車である」(岩波文庫『歴史』)という記述を証明していている。この車を使えば大型織機を運ぶことも可能であろう。だが玄関マットのような小型絨毯ならいざ知らずパジリク絨毯の大きさでは移動と戦乱に明け暮れたスキタイ人が織る時間的余裕はなさそうだ。発掘者のルデンコも著書『スキタイ時代の山地アルタイ人の文化』の中で絨毯のデザインを根拠にアケメネス朝ペルシャで作られたと推定している。これ以外にペルシャ生産説を裏付ける根拠は、大英博物館が保管しているアッシリア帝国アシュルバニパル時代(紀元前668~627)のクユンジーク宮殿に敷かれていた絨毯の意匠を彫刻したと思われるレリーフの床敷石である。紙面の都合で写真を掲載できないが、中央の四葉飾りと全体の構成がパジリク絨毯と酷似している。おそらく当時の西アジアでは絨毯の意匠としてボーダー文様が一般的であったようだ。しかし6世紀末にマホメットが興したイスラム教の勢力拡大に伴い紋様も偶像禁止の観点から人物や動物を描いたデザインが徐々に減り、対照的に相華紋(そうかもん)や樹木紋、幾何柄などが増えていく。このようにインテリア文化は気候風土だけでなく宗教によっても影響される。
さてスキタイやサルマタイなどの遊牧騎馬民族が活躍した紀元前の時代、中央アジアには「絹の道」に先立って一望千里(いちぼうせんり)の「草原の道」が存在していた。彼等はその7000キロにも及ぶ道を自由に往来して交易を行っていた訳である。なんとスケールの大きな話ではないか。