|
壁に吊るす装飾織物をタペストリーと呼ぶ。中世ヨーロッパで防寒と装飾を兼ねて爆発的に普及した。和風住宅主流の日本では関心が低かったが、生活の洋風化に伴いタペストリーの人気が徐々に高まっているようだ。最近は家具等も扱う大型インテリア店でも専用コーナーを設けているところが多いと聞いている。
欧州と日本のインテリアを比較した場合、幾つか大きな違いがある。その一つがタペストリーを積極的に使うか否かである。
日本の場合は伝統的に収納が貧弱であるため、壁際(かべぎわ)はタンス類やサイドボード・本箱などの置き場となり、絵画やタペストリーを壁に飾る余地はない。だが最近は収納システムの充実と供に団塊ジュニアを中心として小型タペストリーを飾る習慣が徐々に形成されつつある。
1930年2月、デービスとH・カーター、E・ニューベリーの3人は古代エジプトの都テーベでトトメス4世の墓を発見する。発掘したところ多数の遺品と一緒に3枚のタペストリーが見つかる。素材はいずれもリネン(亜麻)の綴織(つづれおり)。大きさは一番小さいものが縦12㎝×横4㎝、2番目が20㎝×9㎝、一番大きなものが29㎝×43㎝という規格であった。
掲載する写真は最も大きなサイズのタペストリーである。選んだ理由はデザインも素晴らしく、色彩もカラフルなうえ持主が誰かという事までハッキリしているからだ。
但し収蔵先のカイロ国立博物館は写真撮影禁止。カラーの絵葉書も見つからなかったのでモノクロ写真で勘弁して頂きたい。

写真を良く見るとタペストリーの左側に昆虫フンコロガシを楕円形の枠で囲んだデザインを確認出来るが、これはカルトゥーシュといって永遠の象徴である終りのない円を結んだ縄の形で表現したものだ。カルトゥーシュの中には王の誕生名と即位名を書くのが慣わしで、これによりトトメス4世の父親であるアメンヘテプ2世のタペストリーである事が判明する。
アメンヘテプ2世は上エジプトと下エジプトを統一した第18王朝の王で、治世は紀元前1449~1423年の26年間である。これが発見されるまではエルミタージュ美術館が保有するクリミア出土の紀元前400年と推定されるタペストリーが最古と思われていただけに一気に1千年以上も遡ってしまった計算になる。
デザインは全体が白地で左右にボーダーを配置、その間にハスとパピルスの花が交互に並んでいる。左側のボーダーはハスの花と蕾が交互に並ぶデザインで、赤・青・緑の3配色を効果的に使っている。右側のボーダーは先を切り取った円盤が向かい合うように2列に並んでいて、こちらは赤と青の二配色である。ボーダーに挟まれた部分はハスの花を青と赤の2色、開花したパピルスを青・赤・茶・黄という4色のリネン糸を使って表現、更に花を浮き立たせるために黒糸で縁取りをしている。とにかく見事の一語で未だに脳裏に焼き付いて離れない。
これら古代エジプトに開花した綴織は2世紀頃に登場するコプト織へと継承されて行く。コプトとはエジプトのキリスト教徒を指す言葉で、コプト織は彼らが作った麻と羊毛を素材とする綴織である。この点ではササン朝ペルシャやビザンティンの織物が絹であったのとは好対照で興味深い。
さて古代エジプト王朝は紀元前30年のクレオパトラ女王の劇的な死によって断絶、その後はローマの支配下に入り、やがてキリスト教も伝来する。しかしローマ統治も長くは続かず、短期間のペルシャ支配を経て7世紀には勃興したばかりのイスラム勢力圏に入る。このイスラムで綴織の技術は細々と保存されるが、11世紀末から始まる十字軍遠征によって西欧へ伝わり、綴織をキーテクノロジーとするタペストリー文化が花開くのである。花開いた理由、それは欧州の冷涼な気候と石造組積式の建物である。壁の隙間から入り込んでくる冷気を防ぐのにタペストリーは効果的。おまけに色彩豊かなタペストリーは装飾効果も抜群であった。また綴織技法なのでギリシャ・ローマ神話や聖書を題材とした絵を織りだすのも容易である。美術界ではタペストリーを別名「織りだした絵画」と呼ぶがピッタリなネーミングではないか。
さて現存するタペストリーの傑作を3点挙げるとすれば、1点目はフランスのバイユー大聖堂美術館の『バイユーのマティルダ王妃の刺繍』。2点目は西フランスのアンジェ城に保管されている『アンジェの黙示録』。3点目はパリ・クリュニュー美術館に展示されている『貴婦人と一角獣』であろう。残念ながらバイユーとアンジェは観光コースから離れているが、クリュニュー美術館は市内中心にある。パリを訪れたなら是非立ち寄って中世の世界に浸るのも一興ではないだろうか。
|